東京高等裁判所 昭和27年(ネ)535号 判決 1956年10月30日
控訴人 原告 苅部義敬
訴訟代理人 久家惺道 外一名
被控訴人 被告 六浦雲渓
訴訟代理人 百崎保太郎 外一名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し護念寺所有にかかる横浜市磯子区峰町七一〇番地所在仏堂明王殿木造茅葺切妻造二階家一棟建坪三十一坪八合三勺外二階二十六坪八合三勺、下家八坪九合七勺(内階下向つて左側十二畳半一室を除く)から退去してその占有を返還せよ。訴訟費用は第一、二番とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、
控訴人は昭和二十三年十一月五日横浜地方裁判所に被控訴人を相手取り本訴と同一の目的物件について被控訴人に退去明渡を求める請求訴訟を提起し、目下同庁昭和二三年(ワ)第三七〇号事件(以下甲事件と略称する)として係属中である。従つて本訴は一事不再理の原則に牴触するものである。もつとも控訴人は右甲事件において当初「原告苅部義敬」としたのを後に「原告護念寺」と変更の申立をしたのであるが、当事者の変更は新訴の提起であつて、少くとも相手方の同意がなければ、旧訴すなわち右甲事件は消滅するものでなく、新旧両訴が併存するものである。被控訴人は右甲事件において昭和二十四年十一月十一日附答弁書第二項により当事者の変更に異議ある旨主張し、控訴人のなした右変更に同意していないから、右甲事件は今なお係属しているものである。これを実質的にみても、甲事件の原告は苅部義敬であり、新訴の原告は護念寺であつて、同寺は法人であり自然人ではないから、右新訴はその主管者と仮称する右苅部義敬に本件物件の退去明渡をせよというに帰するので同一人であることに変りはない。もし甲事件の苅部義敬は単純なる個人であり新訴の苅部義敬は主管者たる肩書を有する苅部義敬であるからこれを同一人とみることが許されないものとすれば、本件における控訴人たる苅部義敬は単純なる苅部義敬なりや又は主管者たる苅部義敬なりや。後者なりとすれば被控訴人の一事不再理の抗弁は理由あること明白であり、また前者なりとすれば、単純なる苅部義敬は未だかつて本件物件につきこれを占有した事実は存しないのであるからこの意味においても本訴請求は理由なきものであると述べ、控訴代理人において右主張事実は否認すると述べたほか、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
当事者双方の証拠の提出、援用、認否は、新に、控訴代理人において、甲第五号証の一、二、第六ないし第十一号証、第十二の一、二、第十三号証の一ないし四(第九ないし第十一号証、第十二号証の一、二、第十三号証の一ないし四はいずれも写を以て提出)を提出し、当審証人柴田敏夫、新谷寛応、野呂幸進の各証言及び当審における控訴本人尋問(第一回及び第三回)の結果を援用し、乙第二ないし第七号証は成立を認める、同第八ないし第十二号証は原本の存在並びにその成立を認めると述べ、被控訴代理人において、乙第二ないし第十二号証(第八ないし第十二号証はいずれも写を以て提出)を提出し、当審証人六浦倫城の証言及び当審における被控訴本人尋問(第一回及び第三回)の結果を援用し、甲第五号証の一、二、第六ないし第八号証は成立を認める、その余の当審において新に提出された甲各号証は原本の存在並びにその成立を認めると述べたほか、原判決摘示と同一であるからこれを引用する。
当裁判所は職権を以て当事者双方の各本人尋問(第二回)をした。
理由
横浜市磯子区峰町七一〇番地所在仏堂明王殿木造茅葺切妻造二階家一棟建坪三十一坪八合三勺外二階二十六坪八合三勺、下家八坪九合七勺(内階下向つて左側十二畳半一室を除く)(以下単に本件建物という)が宗教法人護念寺の所有に属するものであることは、本件における弁論の全趣旨により明らかであつて、右護念寺の前主管者六浦雲照が昭和二十三年四月二日死亡し、その実子である被控訴人が母弟等とともに引き続き本件建物を占有してきたことは当事者間に争のないところである。
そして成立に争ない甲第一、二号証、第四号証、第五号証の一、二、第六ないし第八号証、乙第四ないし第七号証、原本の存在並びにその成立に争ない同第九ないし第十一号証、第十二号証の一、二、第十三号証の一ないし四、原審証人山中軍司、苅部義光、楠本雪枝、松山藤枝、安済力蔵、当審証人柴田敏夫、新谷寛応、野呂幸進、六浦倫城の各証言、当審における控訴本人尋問(第一ないし第三回)の結果及び原審並びに当審(第一ないし第三回)における被控訴本人尋問の結果(但し右甲第九ないし第十一号証、第十二号証の二、第十三号証の二及び四の各記載、前記証人苅部義光、柴田敏夫、新谷寛応、野呂幸進の各証言並びに控訴本人の供述中後記信用しない部分を除く)を綜合すれば、次の事実を認めることができる。
控訴人の父苅部雲敬は大正年間前記護念寺の第十世住職をしていたが、大正十五年一月二十四日急死し、その家督相続人であつた控訴人は当時未だ幼少であつて住職となる資格を有しなかつたので、同寺関係者等協議の結果、控訴人の叔父に当る六浦雲照が後任住職となり、控訴人が成人し住職たる資格を得た暁は住職たる地位を控訴人に譲ることと定めてその旨の契約書を作り、かくて右雲照において第十一世護念寺住職に就任し、同寺の主管者として寺務一切を主宰してきたところ、右雲照は昭和二十三年四月二日死亡した。そこで亡父の跡を継いで住職になろうとする被控訴人と前記契約の趣旨に従つて住職に就任しようとしていた控訴人の両名をめぐつて後任住職問題につき紛議を生ずるに至り、後任住職はしばらく任命されないままで経過したところ、控訴人は同年七月三十一日附を以て浄土宗主管者から護念寺住職としてその主管者に任命せられ、同年八月五日同寺において浄土宗神奈川教区教務所長その他同寺関係者等多数参列して辞令の伝達式並びに住職就任報告法要が行われたのであるが、その際控訴人は、被控訴人が亡父雲照の死後その家族等と共に引き続き居住占有してきた本件建物を、被控訴人等の意に反してその占有を排除し自らこれを占拠するに至つたので、被控訴人は翌六日控訴人の荷物を搬出してその占有を奪回した。ところが同年九月二十七日控訴人は再び本件建物に入り込みこれを占有するに至つたので、右主管者任命の効力を争う被控訴人は控訴人を相手取り横浜地方裁判所に仮処分の申請をなし、同年十月二十二日「本判決は申請人(被控訴人)において金二千円の担保を供することを条件として、左の仮処分をなす。被申請人(控訴人)は横浜市磯子区峰町七一〇番地所在護念寺庫裡(明王殿)木造茅葺切妻造二階家一棟建坪三十一坪八合三勺、下家八坪九合七勺及び同七一〇番地所在附属庫裡木造亜鉛板葺切妻平家建坪十七坪七合五勺に対する申請人(被控訴人)の占有を妨害してはならない。被申請人(控訴人)は申請人(被控訴人)が前項の建物でなす灸治営業を妨害してはならない。申請費用は被申請人(控訴人)の負担とする。本件判決は仮に執行することができる。」旨の判決があつた(右判決のあつたことは当事者間に争がない)ので、被控訴人は翌二十三日右仮処分判決の執行と称して執行吏に委嘱し目的物件に公示書を貼付して占有妨害排除並びに右建物内の灸治営業の妨害をすべからざる旨を明確にさせた。そして同月二十五日被控訴人は私力を以て本件建物から控訴人の家財道具等を持出して控訴人を追い出しこれを占有するに至つたものである。
以上のとおり認定できるのであつて、前記甲第九ないし第十一号証、第十二号証の二、第十三号証の二及び四の各記載内容、前記証人苅部義光、柴田敏夫、新谷寛応、野呂幸進の各証言並びに控訴本人の供述中右認定に牴触する部分は信用することができない。その他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。
以上の事実関係に徴すると、被控訴人は本件建物に前主管者たる亡父雲照とともに同居し、同人が昭和二十三年四月二日死亡した後も引き続きこれに居住し、占有すべき権原(本権)の有無はともかくとして、本件建物の占有を平静に継続してきたところ、同年八月五日控訴人のためその占有を侵奪せられたので、翌六日私力を以てその占有を奪還したが、同年九月二十七日再び控訴人のため占有を侵奪されたため、更に同年十月二十五日私力を以てこれを奪還したものである。そして本訴がいわゆる占有訴訟であることは、控訴人の主張自体によつて明かであるところ、右のようにある物件の占有が甲乙両名によつて交互に侵奪奪還されてきた場合は、占有対占有の関係であつて、甲乙両名のいずれの占有を保護すべきであるかは、一個の問題たるを失わぬところである。思うに、一定の物がある人の事実的支配の裡に存すると認められる場合には、たとえこの事実的支配状態があるべき状態に反するものであつても、私力を以て濫りにこれを侵すべからざるものとして、これを保護するのでなければ、社会の平和と秩序とは維持せられない。そこで法はこのあるがままの事実的状態そのものを占有として保護し、これを濫すものに対し、あるべき状態の如何を詮索することなく、あるがままの事実状態すなわち占有を理由として占有回収その他の救済を与えているのであつて、いわゆる占有訴権のめられるゆえんである。従つて、前記のとおりある物件の占有が交互に侵奪奪還されてきた場合には、当初の占有侵奪者は前に述べた趣旨においていわば社会の秩序と平和を濫すものであつて、その後その占有が相手方に侵奪され、しかも右侵奪が法の許容する自救行為の要件を備えない場合であつても、当初の占有侵奪者(後の被侵奪者)の占有は法の保護に値せず、反つて占有奪還者(後の占有侵奪者)の占有を保護することが、社会の平和と秩序を守るゆえんであるから、当初の占有侵奪者(後の占有被侵奪者)は占有訴権を有しないものと解するのを相当とする。もつとも、占有侵奪者の占有であつても、それが時の経過により撹乱状態が平静に帰し社会一般が侵奪者において占有していることを以て新な社会的秩序であると認めるに至る等の特段の事情ある場合には、占有侵奪者もその時から占有訴権を取得するものと解せられるのである。本件について考えてみるに、前認定のとおり被控訴人は亡父死亡後も引き続いて平静に本件建物に居住占有してきたところ、その意思によらないで控訴人のため右占有を侵奪され一旦これを奪還したけれども再び控訴人に侵奪されて更にこれを奪還したものであつて、控訴人の右侵奪による占有状態が平静に帰したと認めるに足る何等の証拠の存在しない本件にあつては、控訴人は当初の平静な占有の侵奪者であるから前示の理由によつて占有訴権を有しないものといわなければならない。
してみると、占有訴権を有することを前提とする控訴人の本訴請求は、爾余の争点について判断するまでもなく失当たること明かであるから棄却を免れない。よつて右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長判事 浜田潔夫 判事 仁井田秀穂 判事 伊藤顕信)